銀鉱山跡と鉱山町
江戸時代初めには柵で厳重に囲まれ、20世紀前半まで操業された銀山遺跡の本体を指します。
石見銀山支配の中枢施設跡です。
石見銀山を防御するための山城遺構です。石見銀山街道温泉津・沖泊道を挟んで矢筈城と対峙します。
石見銀山を防御するための山城遺構です。石見銀山街道温泉津・沖泊道を挟んで矢滝城と対峙します。
石見銀山を防御するための山城遺構です。仁摩方面に出る街道沿いを守備していました。
鉱山に隣接して発展した、石見銀山の中心町。
大森地区の代官所跡近くで発見された銀製錬工房跡です。
大森地区における最大規模の商家建築です。
石造の三尊仏と羅漢坐像500体を安置する場所で、石見銀山の石造物文化を代表する信仰遺跡です。
鞆ヶ浦が銀・銀鉱石の積出港として機能していたときに利用されていた約7kmの街道です。
石見銀山の外港であった温泉津・沖泊と柵内を結ぶ約12kmの街道です。
16世紀前半から中頃にかけて銀・銀鉱石を博多に積み出した港です。
銀の輸送や、石見銀山への物資補給、軍事基地として、主に16世紀後半の約40年間、機能した港です。
石見銀山の外港として発展した温泉のある港町です。