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縄文時代の人々の生活と精神文化


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基本情報

北海道・北東北の縄文遺跡群とは

豊かな自然の恵みを受けながら1万年以上にわたり採集・漁労・狩猟により定住した縄文時代の人々の生活と精神文化を今に伝える貴重な文化遺産です。




 基本情報

所在地
北海道、青森県、岩手県、秋田県
分類
文化遺産
登録年
2021年
遺産名
Jomon Prehistoric Sites in Northern Japan
構成資産(各資産の簡易情報はこちら)
北海道
  1. 垣ノ島遺跡
  2. 北黄金貝塚
  3. 大船遺跡
  4. 入江貝塚
  5. キウス周堤墓群
  6. 高砂貝塚
青森県
  1. 大平山元遺跡
  2. 田小屋野貝塚
  3. 二ツ森貝塚
  4. 三内丸山遺跡
  5. 小牧野遺跡
  6. 大森勝山遺跡
  7. 亀ヶ岡石器時代遺跡
  8. 是川石器時代遺跡
岩手県
  1. 御所野遺跡
秋田県
  1. 伊勢堂岱遺跡
  2. 大湯環状列石
世界遺産の登録基準(当サイト略称。正式な登録基準はこちら
  • ⅲ) 文化的伝統等
  • ⅴ)伝統的集落等
※ 世界遺産リストに登録されるためには、「世界遺産条約履行のための作業指針」で示されている登録基準のいずれか1つ以上に合致する必要があります。
※ 公益社団法人日本ユネスコ協会連盟のサイトより引用
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 スポットのプチ情報

スポット情報は、北海道・北東北の縄文遺跡群の公式サイトから引用しています。

北海道

垣ノ島遺跡

北海道南西部、渡島(おしま)半島東岸の函館市南茅部(みなみかやべ)地区に所在し、垣ノ島川沿岸の標高32~50メートルの海岸段丘上に立地します。水産資源豊富な太平洋に面し、後背地には落葉広葉樹の森が広がっていました。
集落内では、竪穴建物による居住域と、土坑墓からなる墓域が分離されており、日常と非日常の空間が区別されていたことを示しています。漁網用の石錘が多く出土しており、漁労が活発に行われていたことがわかります。また、墓には子どもの足を押しつけた足形付土版が副葬されることがあり、この地域特有の精神文化を伝えています。
本資産は、定住開始期後半の集落遺跡であり、沿岸地域における生活や、耐久性があり長期間居住できる竪穴建物の出現、日常(居住域)と非日常(墓域)の空間の区別など、集落の様子や精神文化の変遷を示す重要な遺跡です。また、紀元前2,000年頃に構築された長さ190メートルに及ぶ「コ」(U)の字形をした大規模な盛土遺構は、国内最大級の規模です。「送り場」など祭祀・儀礼の場と考えられ、当時の社会性や精神性の変遷を示す遺構として、今なお視覚的に確認できる重要な記念物です。

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北黄金貝塚

北海道南西部、内浦湾東岸の伊達市に所在し、標高10~20メートルの丘陵上に立地します。水産資源豊富な内浦湾に面し、後背地には落葉広葉樹の森が広がっていました。
集落には竪穴建物、墓、貝塚、水場遺構など多様な施設が見られ、貝塚からはハマグリ、カキ、ホタテなどの貝類や、マグロ、ヒラメなどの魚骨のほか、オットセイ、クジラなどの海獣類の骨も多く出土しており、漁労を中心としたこの地域の生業を示しています。貝塚や住居は海進・海退などにより変化した当時の海岸線と連動して形成されており、自然環境の変化と生活域との関連性を示しています。また、貝塚と墓域が一体となった祭祀場が形成され、埋葬人骨を含む墓や、シカの頭骨を配置した動物儀礼の痕跡が確認されました。湧水点近くの水場遺構からは、木の実をすりつぶすための大量の礫石器(すり石や石皿)が出土しており、そのほとんどが破損していることから、石器の廃棄に伴い祭祀・儀礼が行われたと考えられます。
本資産は、定住発展期前半の貝塚を伴う集落であり、沿岸地域の生業や、海進・海退といった環境変化への適応、貝塚や水場での祭祀・儀礼などの高い精神文化を示す重要な遺跡です。

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大船遺跡

北海道南西部、渡島(おしま)半島東岸の函館市南茅部(みなみかやべ)地区に所在し、大船川沿岸の標高30~50メートルの海岸段丘上に立地します。水産資源豊富な太平洋に面し、後背地には落葉広葉樹の森が広がっていました。
集落には100棟を超える竪穴建物跡からなる居住域と大規模な盛土があり、その南西には墓や貯蔵穴を含む100基以上の土坑群が確認されています。竪穴建物跡は、床を深く掘り込んだ大型のものが多く、深さ2メートルを超えるものもあります。
盛土からは膨大な量の土器や石器、焼土などが出土しており、長期間継続して祭祀・儀礼が行われたと考えられています。また、クジラ、オットセイなどの海獣類や、マグロ、サケなどの魚類の骨、カキなどの貝類のほか、クリ、クルミなどの堅果類や、ヤマブドウ、ウルシなども出土しており、漁労とともに森林資源も活発に利用していたことがわかります。
本資産は、定住発展期後半の祭祀場である大規模な盛土を伴う拠点集落であり、沿岸地域における生業と精神生活の在り方を示す重要な遺跡です。

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入江貝塚

北海道南西部の洞爺湖町に所在し、内浦湾を望む標高約20メートルの段丘上に立地します。水産資源豊富な内浦湾に面し、後背地には落葉広葉樹の森が広がっていました。
集落は竪穴建物による居住域と土坑墓による墓域で構成され、貝塚は段丘の縁や斜面に形成されています。貝塚からは、アサリ、イガイなどの貝類のほか、ニシン、カサゴ、スズキ、マグロなどの魚骨や、エゾシカやイルカ類などの獣骨、さらに釣り針や銛などの骨角器が出土しており、漁労や狩猟が活発に行われていたことを示しています。墓域からは筋萎縮症に罹患した成人男性の人骨が検出されており、長期にわたり周囲の人々の手厚い介護を受けながら日常生活を送っていたことを示しています。
本資産は、定住成熟期前半において、共同の祭祀場や墓地を支えた周辺の集落の典型であり、沿岸地域における生業と精神生活の在り方を示す重要な遺跡です。

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キウス周堤墓群

北海道中央部の千歳市に所在し、石狩低地帯に面する標高15~21メートルの緩やかな斜面に立地します。食料となるサケ・マスが遡上し捕獲できる河川近くであり、後背地に落葉広葉樹の森が広がっていました。
周堤墓とは、地面に円形に竪穴を掘り、掘り上げた土を周囲に環状に積み上げることで大規模なドーナツ状の周堤を作り、その中に複数の墓を配置した大規模な集団墓です。キウス周堤墓群には9基の周堤墓が存在し、うち8基は現在でもその形状がわかる外径30メートル以上の大規模なものです。最大のものは外径83メートル、周堤上面から竪穴底面までの高低差は4.7メートル、積み上げられた土の量は推計で約3,000立方メートル近くに達します。周堤墓には出入口と考えられる周堤の切れ目があり、決まった道を通って周堤墓に出入りしていたと考えられます。周堤墓内の土坑墓には赤色の顔料(ベンガラ)が撒かれるものが多く、また、墓標と思われる立石が埋められたものもあります。
本資産は、定住成熟期後半の大規模な土手で囲まれた共同墓地であり、内陸地域における生業と独特な構造の墓地を構築する高い精神性を示す重要な遺跡です。

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高砂貝塚

北海道南西部の洞爺湖町に所在し、内浦湾を望む標高約10メートルの低地に立地します。水産資源豊富な内浦湾に面し、後背地には落葉広葉樹の森が広がっていました。
遺跡には貝塚と墓域が形成されています。墓域は、土坑墓と配石遺構で構成され、土坑墓は、土器や石器、石製品などの副葬品を伴い、赤色の顔料(ベンガラ)が散布されています。他に、抜歯の痕跡が認められる人骨や胎児骨を伴う妊産婦の墓もあります。貝塚からは、タマキビ、ホタテ、アサリなどの貝類や、ニシン、カレイ、マグロなどの魚骨、エゾシカ、イルカなどの哺乳類の骨が出土しました。特にアサリやカレイが多くみられることから、貝塚周辺には砂浜が発達していたとともに、一時的な寒冷化であったことを示しています。
本資産は、定住成熟期後半の貝塚を伴う共同墓地であり、沿岸地域における生業と高い精神性による祭祀・儀礼の在り方を示す重要な遺跡です。

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青森県

大平山元遺跡

青森県津軽半島の外ヶ浜町に所在し、陸奥湾に注ぐ蟹田川沿岸の標高26メートルの河岸段丘上に立地します。サケ・マスが遡上し、捕獲できる河川近くで、石器に適した良質の石材が採取できる場所です。
遺跡からは、旧石器時代の終わりごろの特徴を持つ石器群とともに、土器片と石鏃が出土しました。土器片に付着していた炭化物の放射性炭素年代測定を行ったところ、紀元前13,000年頃のものである可能性が指摘されました。現在のところ北東アジア最古の土器です。最も古い特徴を持つ土器片は、縄による施文や貼り付けなどの装飾がない無文のものです。重量があり壊れやすい土器の出現は、定住生活の開始を示す重要な要素であり、この土器片は土器の起源を語ることができるもののひとつと考えられています。土器片の分布をみると、土器を中心とした居住空間を想定でき、柱穴や凹みは認められず、地下への掘り込みも無いことなどから、住居は移動式テントのようなもので、あらゆる建築物や土地の造成を行わず、最小限の土地利用で自然環境に適応した生活を送っていたと考えられます。
本資産は、旧石器時代の遊動から縄文時代の定住へと生活様式が変化する様子を示す重要な遺跡です。

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田小屋野貝塚

青森県津軽半島のつがる市に所在し、岩木川沿岸の標高10~15メートルの丘陵上に立地します。海進期に形成された内湾である古十三湖(こ・じゅうさんこ)に面し、漁労及び貝の採取に適するとともに、後背地には落葉広葉樹の森が広がっていました。
集落には、竪穴建物、墓、貝塚、捨て場、貯蔵穴などがあり、この時期の典型的な集落構造を示しています。貝塚からは汽水域に棲息するヤマトシジミなどの貝類を中心に、コイ、サバなどの魚骨や、ガン、カモなどの鳥骨が出土しています。日常的な祭祀・儀礼の場でもあった捨て場からは、土器や石器のほか、クジラやイルカなど、大型ほ乳類の骨で作った骨角器も出土しています。土坑墓からは出産歴のある女性の埋葬人骨が発見されました。特に、ベンケイガイ製の貝輪の未製品が多数出土したことから、集落内で貝輪製作が行われていたことが明らかになりました。同時期のベンケイガイ製貝輪が北海道から出土していること、さらに田小屋野貝塚からは北海道産黒曜石が出土していることから、縄文時代の生産活動や海峡を越えた交易を知ることができます。
本資産は、定住発展期前半の貝塚を伴う集落であり、内湾地域における生業や集落の様子を示す重要な遺跡です。

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二ツ森貝塚

青森県東部の七戸町に所在し、太平洋岸の小川原湖西岸の標高30メートルの段丘上に立地します。海進期に形成された湖沼地帯の最奥部で、漁労や貝の採取などが行われ、後背地には落葉広葉樹の森が広がっていました。
遺跡からは竪穴建物跡や貯蔵穴が多数見つかっており、大規模な集落であったことがわかります。貝塚は、台地の北斜面と南斜面の2か所に形成され、下層には海水性、上層には汽水性の貝殻が堆積し、海進・海退による環境の変化を明確に反映しています。貝塚からはヤマトシジミ、ハマグリなどの貝類をはじめ、スズキ、マダイ、フグなどの魚骨、ハクチョウ、カモなどの鳥骨、シカ、イノシシなどの獣骨が出土しています。また、釣り針や銛などの骨角器も出土しました。中でも、精巧に加工された鹿角製櫛は当時の高い精神性と加工技術を示しています。当時の環境下における食生活や狩猟・採集・漁労などの生業を知る上での貴重な情報源となっています。
本資産は、定住発展期前半を中心とした大規模な貝塚を伴う集落であり、湖沼地帯における生業や、海進・海退など環境変化への適応の実態を示す重要な遺跡です。

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三内丸山遺跡

青森県中央部の青森市に所在し、八甲田山系からのびる緩やかな丘陵の先端部、沖館川沿岸の標高約20メートルの海岸段丘上に立地します。水産資源豊富な内湾及び河口に位置し、後背地には落葉広葉樹の森が広がっていました。
集落には、竪穴建物、掘立柱建物、列状に並んだ土坑墓、埋設土器、盛土、貯蔵穴、道路、大型建物などが計画的に配置されています。膨大な量の土器や石器のほか、食生活や環境を示す多種多様な魚骨や動物骨、クリ、クルミなどの堅果類が出土しており、通年において自然資源を巧みに利用していたことがわかります。ほかにも、木製品、骨角器、編籠、漆製品などの有機質遺物、さらに、ヒスイや遠隔地産の黒曜石、アスファルトなどの交易品も多数出土しています。複数形成された大規模な盛土からは、日本最多となる2,000点を超える土偶など、まつりの道具が大量に出土しており、祭祀・儀礼が長期間にわたり継続して行われていたことを示しています。
本資産は、定住発展期後半を中心とした大規模な拠点集落であり、内湾地域における生業や、大規模な拠点集落と祭祀・儀礼の多様性を示す重要な遺跡です。

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小牧野遺跡

青森県中央部の青森市に所在し、八甲田山西麓に広がる荒川と入内川に挟まれた、青森平野を一望できる標高80〜160メートルの舌状台地上に立地します。後背地には落葉広葉樹の森が広がっていました。
環状列石は、遺構の中で最も高いところに斜面を平らに造成して作られました。中央帯が直径2.5メートル、内帯が直径29メートル、外帯が直径35メートルの三重の環を描くように配置され、その周りを囲むように直径約4メートルの環状配石や一部四重となる列石などが配置されており、全体では直径55メートルになります。環状列石のほか、捨て場や湧水遺構、土坑墓群や土器棺墓なども発見されています。また、環状列石に隣接する墓域や捨て場を中心に、土器や石器のほか、土偶やミニチュア土器、動物形土製品、鐸形土製品、三角形岩版、円形岩版など、祭祀的要素の強い遺物が出土しています。特に三角形岩版は400点以上も出土しており、環状列石を中心に祭祀・儀礼が行われたものと考えられます。
本資産は、定住成熟期前半の環状列石を主体とする祭祀遺跡であり、丘陵地域における生業と祭祀・儀礼の在り方を示す重要な遺跡です。

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大森勝山遺跡

青森県西部の弘前市に所在し、岩木山北東麓の標高143~145メートルの舌状丘陵上に立地します。遺跡の南西側には単独峰の岩木山の全景を眺望できます。後背地には落葉広葉樹の森が広がっていました。
環状列石は、台地上を整地した後、土手状に盛土し、その縁辺部に77基の組石を配置しており、長径48.5メートル、短径39.1メートルのやや楕円形に作られています。組石には、遺跡の南北を流れる大森川、大石川から運ばれた輝石安山岩(きせきあんざんがん)が主に使われました。遺跡からは、土器や石器のほか、祭祀用である岩版・石剣などが出土しています。中でも、環状列石及びその周辺から約250点出土した円盤状石製品は、組石と同じ輝石安山岩を加工して作られており、環状列石と関連する何らかの祭祀・儀礼用と考えられます。遺跡は、冬至に太陽が岩木山山頂へと沈む地点に立地しており、環状列石と岩木山を結ぶ直線上に大型竪穴建物跡が1棟あり、環状列石周辺には捨て場や屋外炉などが確認されています。明確な墓域が確認されないことから、墓域は別の場所に形成されたものと考えられます。
本資産は、定住成熟期後半の環状列石を主体とする祭祀遺跡であり、山岳地帯における生業と高い精神性を示す重要な遺跡です。

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亀ヶ岡石器時代遺跡

青森県津軽半島のつがる市に所在し、岩木川沿岸の標高7~18メートルの丘陵上に立地します。海進期に形成された内湾である古十三湖(こ・じゅうさんこ)に面し、後背地には落葉広葉樹の森が広がっていました。
台地上には土坑墓が多数群集する墓域が広がり、土器などの供献品や、玉などの副葬品が出土しています。墓域は長期間にわたって構築されており、祖先崇拝が継続して行われたことを示しています。台地周囲の低湿地には祭祀場としての捨て場が形成され、完形品を含む多数の造形的に優れた漆塗りの土器や漆器、土偶、植物製品、ヒスイ製の玉類などが出土しています。中でも、1887(明治20)年に出土した左脚を欠いた大型土偶(国重要文化財)は、その眼部の表現が「遮光器土偶(しゃこうきどぐう)」の名称の起こりとなったことで知られています。精緻で幾何学的な文様に特徴づけられる土器とともに、海外でも高い評価を得ています。
本資産は、定住成熟期後半の大規模な共同墓地であり、高度な精神文化を示すとともに、内湾地域の汽水域における生業及び高い精神性による祭祀・儀礼の在り方を示す重要な遺跡です。

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是川石器時代遺跡

青森県東部の八戸市に所在し、新井田川沿岸の南北の沢に挟まれた標高10~15メートルの段丘上に立地します。サケ・マスが遡上する河川近くで、後背地には落葉広葉樹の森が広がっていました。
遺跡は一王寺(いちおうじ)遺跡、堀田(ほった)遺跡、中居(なかい)遺跡の3つからなります。縄文時代晩期の中居遺跡では、集落は小規模ですが、居住域、墓域、捨て場、配石や盛土など多様な遺構が見つかっています。低湿地の捨て場からは、精巧な土器や土偶をはじめ、弓やヤスなどの木製品や、漆が塗られた弓や櫛、腕輪、容器などの漆製品が多数発見されました。祭祀・儀礼が活発に行われたものと考えられます。また、沢地ではトチのアク抜きをするための水さらし場も見つかっています。クリ、クルミ、トチなどの木の実の殻をはじめ、シカやイノシシの獣骨、スズキやマグロなどの魚骨も出土し、当時の環境とともに、狩猟・漁労・採集による生業の様子がわかります。
本資産は、定住成熟期後半の多様な施設を伴う集落であり、河川流域における生業や高い精神性による祭祀・儀礼の在り方を示す重要な遺跡です。

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岩手県

御所野遺跡

岩手県北部の一戸町に所在し、馬淵(まべち)川沿岸の標高190~210メートルの河岸段丘に立地します。食料となるサケ・マスが遡上し、捕獲できるとともに、後背地には落葉広葉樹の森が広がっていました。
集落の中央に配石遺構や墓などの墓域が造られ、その周囲には竪穴建物、掘立柱建物、祭祀に伴う盛土などが分布し、さらにその外側の東、西にも竪穴建物が密集するという集落構造が明らかになっています。盛土からは、大量の土器や石器とともに、焼かれたシカ、イノシシなどの動物骨、同様のクリ、クルミなどの堅果類、さらに祭祀遺物と考えられる土偶、土製品、石製品などが集中的に出土していることから、火を使用した祭祀が繰り返し行われていたことを示しています。また、竪穴建物のなかには、焼失後に廃棄されたものもあり、調査の結果、これらの竪穴建物は土で覆う屋根構造だったことが明らかとなりました。
本資産は、定住発展期後半の配石遺構を伴う墓域と祭祀場である盛土を伴う拠点集落であり、内陸の河川地域における生業と精神生活の在り方を示す重要な遺跡です。

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秋田県

伊勢堂岱遺跡

秋田県北部の北秋田市に所在し、米代川沿岸の2つの河川に囲まれた標高42~45メートルの河岸段丘上に立地します。食料となるサケ・マスが遡上し、捕獲できる河川近くであり、後背地には落葉広葉樹の森が広がっていました。
4つの環状列石を主体に、配石遺構、掘立柱建物跡、土坑墓、貯蔵穴、溝状遺構などが見つかっています。環状列石が集中する段丘端部からは、白神山地をはじめ遠方の山並みを望むことができます。環状列石はいずれも直径30メートル以上で、最大のものは直径45メートルになります。隣接して4つもの環状列石が確認されている例は他にありません。周辺からは、土偶、動物形土製品、鐸形土製品、岩版類、三脚石器、石剣類など祭祀・儀礼の道具も多数出土しています。環状列石の下部には死者を埋葬した土坑墓がみられ、共同墓地であるとともに、祭祀・儀礼の空間でもあったと考えられます。
本資産は、定住成熟期前半の4つの環状列石を主体とする祭祀遺跡であり、内陸地域における生業及び祭祀・儀礼の在り方を示す重要な遺跡です。

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大湯環状列石

秋田県北東部の鹿角市に所在し、米代川の支流である大湯川沿岸、標高約180メートルの台地上に立地します。食料となるサケ・マスが遡上し、捕獲できる河川の近くであり、後背地には落葉広葉樹の森が広がっていました。
万座(まんざ)環状列石(最大径52メートル)と野中堂(のなかどう)環状列石(最大径44メートル)の二つの環状列石があり、いずれも大小の川原石を様々な形に組み合わせた複数の配石遺構を環状に配置し形成されています。それぞれの環状列石を取り囲むように、掘立柱建物、貯蔵穴、土坑墓などが同心円状に配置されています。また、環状列石の周辺からは、土偶や土版、動物形土製品、鐸形土製品、石棒、石刀などの祭祀・儀礼の道具が数多く出土しています。二つの環状列石のそれぞれの中心の石と日時計状組石は一直線に並ぶような配置となっていることから、両者を関連づけて構築した可能性は高いと考えられます。また、この直線上は夏至の日没方向ともほぼ一致します。
本資産は、定住成熟期前半の環状列石を主体とする祭祀遺跡であり、内陸地域における生業と祭祀・儀礼の在り方を示す重要な遺跡です。

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